急に寒くなった!僕は寒い方が好きなんだ😊
急に寒くなった!僕は寒い方が好きなんだ😊
好きなことは橋や川沿いを歩く時に、水面を覗き込むこと。得意なことは自転車で信号待ちの時に、人より少し長く立って居られること。僕は最近なんだけど、歩く楽しさに気づいた。歩いていると新しい発見があって楽しくなってしまったのです。近所ではないけれど、大阪城が歩きやすいのでしょっちゅう行っております。ルートはその日の気分で、北方面は中之島を端から端までぐるっと一周回る。南方面は天王寺公園をぐるっと回る。それが最近物足らなくなり北は梅田を越えて淀川まで足を伸ばしてしまう。だいたい12kmを毎日歩いています。
歩いている時には沢山考える時間があり、有効的に時間を使っているのですが、どうしてもそこに意識が集中してしまうと、本来大股で一歩一歩の段取りが、気付くと普通歩きになってしまう。やっぱ男(僕)は女と違って同時に二つのことを考えたり、行動したりは成し得ないのだろうか?
今、男と女の違いで少し触れてみたけれども、確実に男女には感覚のズレがあるって、誰もが思ったことはあるよね? 自分の経験上からでも、言っちゃいけないけど、まさかそれ? そこ? なんで!って僕目線でいつも辟易に見舞われる。例えば「男が忘れて欲しい話に限って女は忘れないし、女が忘れて欲しくない話に限って男は忘れる」「男は恋して強くなるけど、女は恋して弱くなる」「会えない日が長くなると会いたくなるのが男だけど、会えない日が長くなるともう会わなくても良くなるのが女」もう完全に物や言葉の捉え方が違いますよね。どっちが正しいとかではなくって、恐らくDNAがそうなってるんでしょうね。なのでどうしても折り合わない部分は相当にあるでしょう。
特に男性にその傾向が多いのがこれだと思います。社会に出て大人になってからは、プライベートで自分の居場所を見つけることは非常に難しく、また新たに友達を作るって更に難しい。子供の頃は誰とでも直ぐにその日の内に友達になれたはずなのに、余計な知恵が邪魔したりして、友達に至る迄にはいかないのが殆どの人の月並みだろうと。とても悲しいがそれが現実だと思う。きっと皆そこには虚構の塊があり、悔恨の情が隠せないと思います。
不承不承、僕自身考え事がある時やー人の時間が欲しい時は、景色などを見ながらそれを考え過ごす。小さな誤ちや、大切な人のことを、許せない気持ち等が一杯の時には、昇華したい為に素直だった昔を思い出し、無邪気だったその子供の頃の心を思い出します。
みんな見せかけや形ばかりの大人になってしまい、本当に大切なものを忙し過ぎる時間の間に、落として無くしてしまってると感じる。今、毎日歩きながら思う。もう一度、みんな本当の自分で今を楽しめる人になってもらいたいと。
旅に出れなくなって、もうどれだけ月日が過ぎたんだろうか。唯一の趣味は出歩くことの僕は、今その代わりに何を楽しめばいいんだろうか、毎日どうやったら楽しく居られるんだろうかと常に考えております。馬鹿馬鹿しい! と御高説を頂くかも知れませんが、至って本人の僕は、真剣に今を有意義に生きて行けていない自分を堂々と呪っております。
私見では自身の物欲は、一般的な方と同じ様なものじゃないかと思うのですが、街で見かけたちょっと気になる良いものや、欲しいなぁーっと思ったものを冷静に判断し過ぎてか、結果的にやっぱり直ぐに飽きちゃうよなぁーっと言う思いに至り、欲しいのになにも買えず、一切前進に及ばず、これまたどうすればいいのか悩みに悩み、堂々巡りの日々をこれまた否応なく迎え過ごしてしまっております。
その背景には、たった一度の人生死ぬ以外は擦り傷! みたいなもんの命の中で、僕は今のままで良いのだろうか?っと強く思ってしまうのです。どうせいつかは死ぬと分かっていて生きて行く儚くもこの矛盾の中で、大金持ちであろうと庶民であろうと、人間は体一つしかないので絶対に一つの人生しか歩むことができない。社会的にどんなに成功した大企業の社長さんであっても、ある日ふと、もしも自分が映画スターになっていたら、指揮者になっていたら、漁師になっていたらどんな人生だったのだろうと思うことがあると思う。影の人生とでも言いましょうか、人間は決して同時に2つの人生を歩めない。だからこそ、別の人生を歩む事は最大の願望であろう。自分以外の人生を経験でき演じられると言うのは、それ故に最大の願望を叶えれたということだろうかと。
僕らには思想の自由や行動の自由があるのと同時に、世界を旅する権利や趣味嗜好を楽しめれる自由も存在するはず。それは全てそれぞれの条項に守られているからなのだ。僕らが悩み苦しみ、如いては今の幸福を誰かに伝えたい。誇示したい。そんなことを共有する場所があってはいけないのでしょうか? もしそんな場所があったなら素敵だと思いませんか? 僕らがここで気持ちが楽になれたこと等を、他人に教えるのを拒むのは正しいことなのか? いやそれは間違ってると思う。自分が経験したことをシェアさせないとか、伝えないと言うことは、ハッキリ言って彼らからそれを盗むのと同じことだと思う。誰かに話したり、したかったことを経験出来るってことは基本的な人権と言える。誰もが経験できるはずの全てのものへのアクセスは、基本的人権と同じなのだと思うから。
与えられた人生。勝ち取った道。あるいは儚く生きていく人生もあるだろう。人にはそれぞれ様々な未来が巡って来る。僕はこのMelindaっと言うお店を、人生の舞台裏と見ている。社会で、家庭内で、表向きの自分を演じてもその裏側は必ずあるはず。人に言えない事も多少はあるはず。だから聴きます。どうぞ沢山お話し下さい。気が済むまでお話し下さい。昼はワンランク上のStaffが、夜は半ランク上の僕が。皆さまが少しでもお話ししやすい様に、先ずは冒頭にて、手始めに僕自身の心の描写を紹介してみました。
さて季節は移り変り、大阪の街には少しずつ賑わいも活気も戻って参りました。当店も政府が推進するGo toを勝手にGo to Melindaっと呼称します。どなた様もサイトを熟読された上で、ご来店をお待ち致しております。
僕は泣いちっち~♪ 横向いて泣いちっち~♪ を脳裏によぎらせつつ、久しぶりのスタッフ日誌を書き進めたいと思います。そう、まるで聖母マリア様のような、包容力のあり過ぎる素敵な女性が大阪から遥か遠くの地へ行ってしまいました。ただでさえなかなか会えなかったのに、今後はその可能性すらゼロに等しくなってしまいました。えーんえーん!とっても寂しいです。このMelindaで出会えた奇跡に感謝して、また会える日を楽しみに過ごしていく所存です。温かい春の日差しのような優しい笑顔をたくさんありがとう。
上の画像は、東京へ行っちっちの彼女とは別の女性です。こちらの女性はこの後、懐かしの電流イライラ棒によってもてあそばれ、床に転がされることとなってしまいました。なんて書いたら「あれ?このお店って、もしかして怖いトコロ?」と思うかもしれませんが、そんなことはありませんのでどうぞご安心を。皆様仲良しです。ところで、女性が「思い切り◯ン◯して良いよ」と言ったならば、思いっ切り◯ン◯してあげられますでしょうか?そんなことできません?そのお気持ちよく分かります。でも大丈夫です。女性が自ら言うということは、よっぽどそれが良いからなのです。心配はご無用です。そしてもちろん、それがお好きでない女性もいらっしゃいます。性癖は多種多様です。
このWEBサイトには次のような一文があります。「当店は自分から積極的に会話を始められないような人に楽しんでいただけるお店ではありません」しかし先日「私は人見知りします」と自ら豪語する紳士様が来店されたのです。そこで私は彼にこうお伝え致しました。上記のような一文がありますのに、なぜいらしたのですか?と。そこへ、人生のスーパープロフェッショナル様(当店のマスターではありません)がやってきて、その自称人見知りの紳士様とほんの数秒会話をしまして、すぐにこう言いました。「君、人見知りちゃうやん!喋れるやん!」と。人見知りしますと言いつつ、実はそうでは無かったわけです。お勉強させて頂きました。
お知らせです。10月土曜のお昼は17日と24日に営業致します。お時間作れる方、是非遊びにいらしてくださいませ。
出会いの鶴山、別れの衆楽。新しい出会いがあって、またその別れがあると言う僕の故郷の言葉です。仏教ではないが、なんとなく“諸行無常”と似ている。世の全てのものは移り変わり、生まれては消滅する運命を繰り返す、永遠に変わらないものはないと言うこと。人生とは儚く虚しいものであると言っている。
先日、一人のお若いお嬢さんが、初めてMelindaのドアを開けてくれてからの大阪最後の来店でした。忘れもしない2017年6月の初夏で陽射しが眩しい時期。それにこの年は仮想通貨元年で、驚く程に奇跡の好景気だったのです。なぜここを紐付けてお話したかと言うと、その数ある通貨の呼び名の一つに、彼女の名前がそのまま使われていたからなのであります。しかも半端ない値上げもあり、殆どの人はその彼女の名前通貨で含み益に幸甚の念をも隠せなかったのです。なので余計に記憶に刻まれていたのです。もう一つおまけに打ち明けると、ちょうどその初来店日がMelindaの周年日だったのもあります。僕はPartyなんてしないので、誰にも今日がお店の周年なんだよ! ってことを言いません。なので恐らく誰もがこのTopixを読んで、あーそうだったのって思って頂けると思います。それに当の本人さえもが、そんなの知らなかったよってなってると思います(笑)
長い間本当にありがとう。大好きだった君が居なくなるのはこの上なく寂しい。またいつの日かどこかで再会できる日を心から楽しみにしています。
自己紹介ってそんなに難しいですか?来店される方が、どんな方なのかを事前に教えて欲しいだけなのに。それには今のこの状態を、維持したいだけの思いからなのであります。ただそれだけなのです。
ほとんどの方はこれまでに、自己紹介の一つや二つは経験していらっしゃるでしょうし、していない方がいらっしゃるなんて、今のこの世の中では… 僕は信じられません。願書じゃないんだから、それこそ気軽に思いのまま書いて頂ければいいんです。 但し、書いて字の如く、自分自身を少し紹介して欲しいのです。(少しですが例文まで抜き書きしております) ですが、殆どの方が自己紹介の意味を勘違いしておられると思います。結果的にその内容の乏しさからと未熟さで、Webの記述内容をしっかりと理解できず、その意味すらも分からないままエントリに繋がってしまっています。
お店を開いている以上、まさかお客さんを断る為に営業している訳ではありません。全ての方にご入店頂きたいのです。なのに、こちらが提案してお答えを頂きたいのに、上手にリクエストが伝わらないのか? お答え頂けない方が多分すぎるのです。上記に示した「そんなに難しいですか?」の意味合いを説きますと、ただ“現状紹介”になってる方ばかりなのです。「今からご飯食べてその後、彼女と行きます」「どんなお店かワクワクします!」「楽しみたいです!」この様な類ばかりなのです。これ自己紹介でしょうか? アルバイトの面接さえ一発アウトレベルだと思います。いったい何をどう紹介頂けてるかさっぱり分かりません。失礼を顧みず申し上げますが、メンバーになって戴く前にそもそも来店ができません。
男女のお二人で来られる方には加えて条件があります。それぞれ一人様でのご来店には、自分の意思が全てを優先すると理解しますので、当日の来店エントリでも受付可能です。しかし二名様になって来ると、少しだけそれぞれの意識レベルが違って参ります。
デートの最中に何か面白い事ないかなぁ~ 暇だな~的な勢いからか、突然に来店を思いつく方がいらっしゃいます。正直言って困った人だなぁっと思いますし、一番来店を考え直して頂きたいお二人です。 本当に来店を考えて頂けていたなら、(なぜならそうサイトに書いてるから)お二人で何日も相談して熟慮の結果の来店だと思います。そんなお二人が、デートの最中に突発的に来店をヒラメキますか? 僕だったら思いっきり考え、どこの店が良いかなぁ~っと真剣に悩み、相手に伝え相談してからにします。
なのでシングルさんに限っては当日でも可能にしております。ただシングルさんであっても、やっぱり早目のエントリされてる方と、いくら前々から行こうと考えておられた方でも、時間ができた瞬間にエントリされ来られた方とでは、面白いぐらいハッキリ違いが出て参ります。訳は、時間は自分で作るものであると僕は思います。それは優先順位そのものでしょ。旅行やコンサート等は、それに合わせて仕事を組んで行くでしょう。それとは同列に考えれないし、考えて頂きたくはありませんが、そう言う意識レベルの話であって、そう言うことを言ってるだけなのであります。
僕のお店には常連さんはおりません。馴染み客なら沢山いますし、全て贔屓客さまなのです。本当に大切な家族みたいなものなのです。以前にも申し上げました、大型スーパーと小売店舗の違いと同じなのです。大手のスーパーだったらいろんな商品がたくさんあって、何がいくつ売れたかは全てわかるけれども、誰が何を買っていったかはわからない。その反対で、小売個人商店なら誰が何を買って行った日まではっきりと分かる。正しくこれなのです。業種は違うとも、いくら頻繁に来店下さっても、ただ流れ作業の様に顔だけ見覚えがある様な形より、頻繁ではなくともMelindaに定期的に顔を出してくれる人の方が多いから、僕は常に連なる常連と言うより、深く店に染み込んでくれてる馴染み客と考えているのです。
互いに弱点は逆転はしますが、どこをどう自分の理想に近づけて行けるかが大切だと信じています。どんな店を作っても、どんな遊びを提供しても、自分の仕事にプライドを持って日々奮闘し、達成感を持っていられる事が僕は本当の勝ち組だと信じております。
いやー今日は思った以上に面白かった。半沢直樹。週明けに今週の放送が「ない!」っと分かった時のショックっと言えば、それはそれは残念だった。しかしキャストの生放送が「ある」っと分かった時は、それはそれは嬉しかった。
反復法を使っての出だしになったのは、クドく書こうと思って書いたわけではなく、ただたんに、番組に率直な気持ちを表しただけであって、決して推敲した訳ではないので悪しからず。それだけこの番組が好きなのであるっと言う意味であります。
僕は、好きなドラマ番組や映画や本を、何度も繰り返し観るのが好きで、それに時間を使うのが苦ではないのです。繰り返し読んでると良く頭に入り、今まで見えていなかった所を再度発見できるからなのであります。本音を言うと、一度でなんでも済ませたいのですが、できる訳もなく^^; そして同じ場所でも、やっぱ良いなぁ〜ココって思えるからなのです。
こんな話をよく深夜に、心と性の専門のフェティッシュDrと話をしたりもします。彼曰く、僕も先生と同じタイプらしく、同じ様なことで暮らしの中でのリスクを共感し、悩める大人の男を… それに生きてく面白さと、またその難しさについて話し込んだりもしております。
「男は…」と偉そうに書き出してはみたけれども、自分だけかも知れないことは忘れてはおらず、少し気がかりではあるが書き進めさせてもらいましょう。
先ずは、男は女史とはかろうじて「違いがある」と申し上げておきます。男たちの欲望の対象は、物心的で、女性の体の部位(手足など)や着用するものに欲情を繰り返し劣情する。これは性愛のメカニズムにおいて誠に理にかなっている。男からフェティシズムを奪い去ったとしたら、男達は皆女性の顔だけを選択基準に選ぶことになり、美醜(びしゅう)の差はより激しくなってしまうだろう。だからこそ求めるのは、その人のファッションであり、仕草であり、話し方や笑い方にまで教養を求め探してしまうのだと思います。
でも一番大切なのは新しさ。新鮮な物なのだ。書き難いが、分かりやすく書くと"者"なのである。これまでの経験から申しますと、例えば、慢性化したモノにどんなに劣情しても、どんなに付加価値を高めても、興味があるのを隠すことができないのが、まだ抱いたことのない相手に対してである。実際まだ何も知らない相手であって、相性すら合うとは保証されていなくても、男はそこにロマンを感じるのでしょう。そして学習能力があるにも関わらず、同じ失敗を繰り返すのです。実際これを書くと、あっちこっちから問題が出るので書きたくはなかったんだけど、前述に男は! っと大きく振りかぶってしまったので、覚悟の上での撰述なのであります。事実これは接客トーク中に溢れでたお話で、僕は「そうだなー」っとは思うけど、それを書いてしまえば御法度ですよね。っと声を上げましたが…… だけどだけど 幸せ絶頂期のおじさんメンバーさんがそう言うから仕方なく…… ココに^^; ほんと悪意あるよね。(笑)
前が長くなって忘れかけてたけど、ここで言う'女史'とは、一般的な言い方の女子と、捉え方を変えて頂きたい。訳は、僕が営業と自身の暮らしの中で、続けてきている方針原則が大きく関わっているからなのです。自分が思い焦がれる、知的な品行方正の女性を重ねているからなのですあります。僕たちが手を伸ばして掴み取りたい、そんな憧れをも意味しての女性なのだと言うことなのです。