Melitterは85文字までなんだ。しかし半角で打ち込めばもう少し文字数が増やせれる。なので昨日は半角文字が含まれていたんです!
Melitterは85文字までなんだ。しかし半角で打ち込めばもう少し文字数が増やせれる。なので昨日は半角文字が含まれていたんです!
残酷ではありますが、誰もが人を見た目で判断していることは承知でしょうか?人の印象は言語的なコミュニケーションがある前に、見た目やしぐさや振る舞いなどと言った非言語的コミュニケーションで作られていると思います。
割合で言いますと言葉の大切さが35% またそれ以外が65%を占めると言うことなのです。つまり圧倒的に見た目から人は左右されると言うことなのです。一度でも見た目でマイナスを食うと、その印象を覆すには後のトークがどんなに素晴らしくとも、多大なる労力が必要になるのです。それ程第一印象が大切だと言うことです。
相手はあなたの表情、赴きを見ています。知らず知らずの間に作り上げてしまってるネガティヴな印象。例えば椅子に座ってるその姿勢だけでも貧相に映ってたり、自信がなさそうに感じさせたりしてしまっているでしょう。対話中に腕組みをしてしまっているだけでも、本来相手からいただける筈の興味すらも奪い、思いもしない不機嫌そうや迷惑そうにも映ってしまいます。またそうなってしまうと、打つ手もなく深手を負ってしまい万事休す。
要するに勘案してみると、印象が全てだと思って間違いないでしょう。その中でも最も大切なのは、僕に取って人と会って最初の10秒間がとてもとても大切だと言うことだと思います。特に面接とかであれば、椅子に座る前までが命だと信じてます。なぜなら言語的なコミュニケーションが交わされる前に、必ず一瞬で見た目の印象が植え付けられるからです。表情、歩き方、間の取り方、せっかち感や品の無さが露呈してしまわない様にしなければいけないでしょ。そしてその後、話の仕方に注力して頂きたいです。特に話し方は人それぞれで、速めに話す「情熱型」ゆっくり話す「理解優先誠実型」などに別れます。先ずは普段の自分がどれに当たるかを理解して、その場面場面で使い分けれるようにしていただけると最高だと思います。
そして俯瞰的に見て、装いは印象を左右すると言うのも忘れないで欲しい。あなたは気づいていないと思いますが、他人は気付いております。何年も着た現役不可能な洋服も靴も無理です。人は他人のマイナス面には、よく目に付く生き物です。そこも肝に銘じていただきたいです。本当に大切なのです。
後述になりますが、以前に「人生七味唐辛子」を紹介しましたが、今日は良好な対人関係を保つ為には「八元」が大切と言われておりますことを紹介いたします。 八元とは、目元 口元 耳元 襟元 胸元 手元 膝元 足元です。常に清潔感を表現する時にはチェックされがちです。異性に好印象を持って貰う為には心してお気をつけて下さいませ。
まとめでおさらい致します。
①コミュニケーションには大きく2つある。
1言葉を使った言語的コミュニケーション
2しぐさや姿勢 表情 装いの非言語コミュニケーション
②第一印象は最初の10秒
③話し方を意識して話す
この様に意識して気を付けていただけると、好印象は喋らずとも相手に伝えられると言うことだと思います。
こんにちは!
次の一文は、心理学者アルフレッド・アドラーの言葉だそうです。
「やる気が出ない」のではなく「やる気をなくす」という決断を自分でしただけ。
なるほど、このように考える事で自分の中にはまだ「やる気」があるんだわ!と希望を持つことができました。というのも、自宅にて収納に収まりきらない物がありまして、いつまで経ってもそれらの処理ができないのです。「やる気が出ない」のです。でもこれは「やる気が出ない」わけではなくて、「やる気をなくす」という選択を私がしているだけなわけなのですから、「片付けるという行動をすること」を決断すれば解決できるわけなのです。と、最近思った事を書かせて頂きました。
さてAmazonプライムにて、「バチェロレッテ」という婚活サバイバル番組が配信されています。テレビCMで見かけた事のある方もいらっしゃると思います。これ、大好きなのです私。リアルな男女の恋愛、ヤラセ無しとはいえ多少の演出はあるでしょうし、もしかしたら仕事として出演している方もいるかもしれません。例えそうだとしても、本気の感情を垣間見る事ができるのは紛れもない事実。女性に対しての様々なアプローチはもちろん、ライバルである男性同士のコミュニケーションを見るのも好きです。それから撮影場所やセット、小道具使いも素敵ですし、出演者さん達のスタイリングもセクシーだったりカッコ良かったりと楽しめます。やはり、ファッションは大事ですね。大事なのですけれども、中身も必要ですね。男性陣の話し方も気になります。「~でぇ」と、本人は気付いているのかいないのか言葉の語尾が伸びていると、中身が無い人、上辺だけの人のように感じてしまいます。特に会話シーンでは女性と男性の精神年齢が釣り合っていないと、まるで先生と生徒のように見えてしまう事もあります。今回生徒状態になってしまった男性達が何人も見受けられるのですが、このバチェロレッテ女性と出会えた事で何か変わるのでしょうか。どうでしょうか。それにしてもこの女性、心身共にとても健康的!健康でいるための行動を朝から晩まで常にしている方とも言えます。私もお勉強させてもらっています。この件についてはまだまだ語れますが、Amazonさんの関係者でも何でもありませんのでここで止めておきます。
最後にお昼の近況をと思ったのですが、実はここまで書くだけでも結構な時間がかかってしまいましたので、今回はこれで終わりにします。皆さま、お昼にお立ち寄り頂けること大変嬉しく思っております。いつもありがとうございます。 1つだけ言わせてもらいますと、先日「時間です!」と真後ろから詰め寄ってしまったことについて、深くお詫び申し上げます。そんな御本人にしか分からないような事を書いたところで、失礼いたします。
好きなことは橋や川沿いを歩く時に、水面を覗き込むこと。得意なことは自転車で信号待ちの時に、人より少し長く立って居られること。僕は最近なんだけど、歩く楽しさに気づいた。歩いていると新しい発見があって楽しくなってしまったのです。近所ではないけれど、大阪城が歩きやすいのでしょっちゅう行っております。ルートはその日の気分で、北方面は中之島を端から端までぐるっと一周回る。南方面は天王寺公園をぐるっと回る。それが最近物足らなくなり北は梅田を越えて淀川まで足を伸ばしてしまう。だいたい12kmを毎日歩いています。
歩いている時には沢山考える時間があり、有効的に時間を使っているのですが、どうしてもそこに意識が集中してしまうと、本来大股で一歩一歩の段取りが、気付くと普通歩きになってしまう。やっぱ男(僕)は女と違って同時に二つのことを考えたり、行動したりは成し得ないのだろうか?
今、男と女の違いで少し触れてみたけれども、確実に男女には感覚のズレがあるって、誰もが思ったことはあるよね? 自分の経験上からでも、言っちゃいけないけど、まさかそれ? そこ? なんで!って僕目線でいつも辟易に見舞われる。例えば「男が忘れて欲しい話に限って女は忘れないし、女が忘れて欲しくない話に限って男は忘れる」「男は恋して強くなるけど、女は恋して弱くなる」「会えない日が長くなると会いたくなるのが男だけど、会えない日が長くなるともう会わなくても良くなるのが女」もう完全に物や言葉の捉え方が違いますよね。どっちが正しいとかではなくって、恐らくDNAがそうなってるんでしょうね。なのでどうしても折り合わない部分は相当にあるでしょう。
特に男性にその傾向が多いのがこれだと思います。社会に出て大人になってからは、プライベートで自分の居場所を見つけることは非常に難しく、また新たに友達を作るって更に難しい。子供の頃は誰とでも直ぐにその日の内に友達になれたはずなのに、余計な知恵が邪魔したりして、友達に至る迄にはいかないのが殆どの人の月並みだろうと。とても悲しいがそれが現実だと思う。きっと皆そこには虚構の塊があり、悔恨の情が隠せないと思います。
不承不承、僕自身考え事がある時やー人の時間が欲しい時は、景色などを見ながらそれを考え過ごす。小さな誤ちや、大切な人のことを、許せない気持ち等が一杯の時には、昇華したい為に素直だった昔を思い出し、無邪気だったその子供の頃の心を思い出します。
みんな見せかけや形ばかりの大人になってしまい、本当に大切なものを忙し過ぎる時間の間に、落として無くしてしまってると感じる。今、毎日歩きながら思う。もう一度、みんな本当の自分で今を楽しめる人になってもらいたいと。
旅に出れなくなって、もうどれだけ月日が過ぎたんだろうか。唯一の趣味は出歩くことの僕は、今その代わりに何を楽しめばいいんだろうか、毎日どうやったら楽しく居られるんだろうかと常に考えております。馬鹿馬鹿しい! と御高説を頂くかも知れませんが、至って本人の僕は、真剣に今を有意義に生きて行けていない自分を堂々と呪っております。
私見では自身の物欲は、一般的な方と同じ様なものじゃないかと思うのですが、街で見かけたちょっと気になる良いものや、欲しいなぁーっと思ったものを冷静に判断し過ぎてか、結果的にやっぱり直ぐに飽きちゃうよなぁーっと言う思いに至り、欲しいのになにも買えず、一切前進に及ばず、これまたどうすればいいのか悩みに悩み、堂々巡りの日々をこれまた否応なく迎え過ごしてしまっております。
その背景には、たった一度の人生死ぬ以外は擦り傷! みたいなもんの命の中で、僕は今のままで良いのだろうか?っと強く思ってしまうのです。どうせいつかは死ぬと分かっていて生きて行く儚くもこの矛盾の中で、大金持ちであろうと庶民であろうと、人間は体一つしかないので絶対に一つの人生しか歩むことができない。社会的にどんなに成功した大企業の社長さんであっても、ある日ふと、もしも自分が映画スターになっていたら、指揮者になっていたら、漁師になっていたらどんな人生だったのだろうと思うことがあると思う。影の人生とでも言いましょうか、人間は決して同時に2つの人生を歩めない。だからこそ、別の人生を歩む事は最大の願望であろう。自分以外の人生を経験でき演じられると言うのは、それ故に最大の願望を叶えれたということだろうかと。
僕らには思想の自由や行動の自由があるのと同時に、世界を旅する権利や趣味嗜好を楽しめれる自由も存在するはず。それは全てそれぞれの条項に守られているからなのだ。僕らが悩み苦しみ、如いては今の幸福を誰かに伝えたい。誇示したい。そんなことを共有する場所があってはいけないのでしょうか? もしそんな場所があったなら素敵だと思いませんか? 僕らがここで気持ちが楽になれたこと等を、他人に教えるのを拒むのは正しいことなのか? いやそれは間違ってると思う。自分が経験したことをシェアさせないとか、伝えないと言うことは、ハッキリ言って彼らからそれを盗むのと同じことだと思う。誰かに話したり、したかったことを経験出来るってことは基本的な人権と言える。誰もが経験できるはずの全てのものへのアクセスは、基本的人権と同じなのだと思うから。
与えられた人生。勝ち取った道。あるいは儚く生きていく人生もあるだろう。人にはそれぞれ様々な未来が巡って来る。僕はこのMelindaっと言うお店を、人生の舞台裏と見ている。社会で、家庭内で、表向きの自分を演じてもその裏側は必ずあるはず。人に言えない事も多少はあるはず。だから聴きます。どうぞ沢山お話し下さい。気が済むまでお話し下さい。昼はワンランク上のStaffが、夜は半ランク上の僕が。皆さまが少しでもお話ししやすい様に、先ずは冒頭にて、手始めに僕自身の心の描写を紹介してみました。
さて季節は移り変り、大阪の街には少しずつ賑わいも活気も戻って参りました。当店も政府が推進するGo toを勝手にGo to Melindaっと呼称します。どなた様もサイトを熟読された上で、ご来店をお待ち致しております。
僕は泣いちっち~♪ 横向いて泣いちっち~♪ を脳裏によぎらせつつ、久しぶりのスタッフ日誌を書き進めたいと思います。そう、まるで聖母マリア様のような、包容力のあり過ぎる素敵な女性が大阪から遥か遠くの地へ行ってしまいました。ただでさえなかなか会えなかったのに、今後はその可能性すらゼロに等しくなってしまいました。えーんえーん!とっても寂しいです。このMelindaで出会えた奇跡に感謝して、また会える日を楽しみに過ごしていく所存です。温かい春の日差しのような優しい笑顔をたくさんありがとう。
上の画像は、東京へ行っちっちの彼女とは別の女性です。こちらの女性はこの後、懐かしの電流イライラ棒によってもてあそばれ、床に転がされることとなってしまいました。なんて書いたら「あれ?このお店って、もしかして怖いトコロ?」と思うかもしれませんが、そんなことはありませんのでどうぞご安心を。皆様仲良しです。ところで、女性が「思い切り◯ン◯して良いよ」と言ったならば、思いっ切り◯ン◯してあげられますでしょうか?そんなことできません?そのお気持ちよく分かります。でも大丈夫です。女性が自ら言うということは、よっぽどそれが良いからなのです。心配はご無用です。そしてもちろん、それがお好きでない女性もいらっしゃいます。性癖は多種多様です。
このWEBサイトには次のような一文があります。「当店は自分から積極的に会話を始められないような人に楽しんでいただけるお店ではありません」しかし先日「私は人見知りします」と自ら豪語する紳士様が来店されたのです。そこで私は彼にこうお伝え致しました。上記のような一文がありますのに、なぜいらしたのですか?と。そこへ、人生のスーパープロフェッショナル様(当店のマスターではありません)がやってきて、その自称人見知りの紳士様とほんの数秒会話をしまして、すぐにこう言いました。「君、人見知りちゃうやん!喋れるやん!」と。人見知りしますと言いつつ、実はそうでは無かったわけです。お勉強させて頂きました。
お知らせです。10月土曜のお昼は17日と24日に営業致します。お時間作れる方、是非遊びにいらしてくださいませ。
出会いの鶴山、別れの衆楽。新しい出会いがあって、またその別れがあると言う僕の故郷の言葉です。仏教ではないが、なんとなく“諸行無常”と似ている。世の全てのものは移り変わり、生まれては消滅する運命を繰り返す、永遠に変わらないものはないと言うこと。人生とは儚く虚しいものであると言っている。
先日、一人のお若いお嬢さんが、初めてMelindaのドアを開けてくれてからの大阪最後の来店でした。忘れもしない2017年6月の初夏で陽射しが眩しい時期。それにこの年は仮想通貨元年で、驚く程に奇跡の好景気だったのです。なぜここを紐付けてお話したかと言うと、その数ある通貨の呼び名の一つに、彼女の名前がそのまま使われていたからなのであります。しかも半端ない値上げもあり、殆どの人はその彼女の名前通貨で含み益に幸甚の念をも隠せなかったのです。なので余計に記憶に刻まれていたのです。もう一つおまけに打ち明けると、ちょうどその初来店日がMelindaの周年日だったのもあります。僕はPartyなんてしないので、誰にも今日がお店の周年なんだよ! ってことを言いません。なので恐らく誰もがこのTopixを読んで、あーそうだったのって思って頂けると思います。それに当の本人さえもが、そんなの知らなかったよってなってると思います(笑)
長い間本当にありがとう。大好きだった君が居なくなるのはこの上なく寂しい。またいつの日かどこかで再会できる日を心から楽しみにしています。